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*序章直前あたりの話です
寄り道
目を開くと私は知らない部屋にいた。
自室でもホームの医療室でもなく、ただ広い部屋に机とベッドがポツンと置かれている寂しい所だ。
―黒の教団アジア支部
この部屋を含む建物を総称する名前だ。
任務の途中で寄ったのだが矢張り到着するなり寝てしまったらしい。
一通り見回すと窓から明るい陽光が差していた。
私はベッドから下りてシンプルな装飾机の側まで私の腕から伸びる点滴を引っ張って行き水差しから一杯水を飲んだ。
「おや、起きたんだね」
顔を上げると何か前衛的な帽子を被ったアジア支部長が扉によりかかって立っていた。
その後には年齢を思わせる渋い顔に角のように立った白髪の秘書が居る。バクちゃんとウォンさんだ。
バクちゃんはツカツカと歩いてきて私の手をとった。
「ようこそアジア支部へ。寝てる君とはもう三日前に挨拶したけどね」
バクちゃんの薄い色の目が柔らかく笑った。後でウォンさんが軽く頭を下げる。
「お久しぶりです。神田はどっか行ってるんですか?」
「彼なら今鍛錬を兼ねて外に出ているよ」
神田の名前を聞いてバクちゃんの頬が少し引き攣った。神田に怒鳴られでもしたんだろうか。
「じゃぁ出発は神田が帰ってきたらかー。もうちょっとゆっくりしたかったけど」
バクちゃんが私の手を離してさっと窓の外に視線を走らせる。
「君のイノセンスの整備がまだ終わっていないようだ…出発はそれからだよ。それまで一緒にお茶でもいかがかな?」
「やった、バクちゃんありがとう!」
バクちゃんのとこの中国茶はとても美味しい。一ヶ月なら紅茶が止められそうなぐらいに美味しい。
「ウォン」
バクちゃんが振り返りもせず手だけで合図を出すとウォンさんは無言で静々と部屋から退出した。
「座りたまえ」
促されてベッドの上に座るとバクちゃんは手際よく私の腕から針を引き抜いた。
簡単に止血をしてバクちゃんが片付けを始める。
あー腕青じんでる。気持ち悪いなぁ。
「バク様、お茶の用意ができました」
「ああ、わかった」
医療バッグをパタリと閉めてバクちゃんが顔を上げた。
「ちゃんとは半年ぶりかな、可愛くなった」
バク様が他人を褒めるのは非常に珍しいことだ。
一日によく自分を鏡で見て自分を褒めることは多々あるが他人に、しかも口に出すとなると非常に少ない。
バク様はどうにかちゃんを御贔屓にしておられる傾向がある。
その寵愛ぶりはお二人でおられると歳の離れた兄妹、といった印象を受ける程だ。
「あらお上手ー」
「世辞ではない、まぁ君は笑った方が可愛いがね」
「バクちゃんは怒った方が可愛いよ!」
ゴン、という鈍い音がしてバク様はお顔を机にぶつけられた。
大事にしておられるお顔だというのに、明日は雨だろうか。
「……じゃぁボクはいつも君の前で怒っていたら良いのかな?」
「あ、私以外に怒ってね!」
彼女はよく無茶なことを笑顔で言う。
それでもバク様が一切お怒りになられないのは矢張りちゃんを特別可愛がっておられる表れであろう。
「次からは極力努めるとしよう」
「うん。神田が怒ったら怖いけどね、世界とか一睨みで焼き尽しそうだけどね」
「先に手前ぇの頭潰してやろうか」
随分と低い声が響きました。
エクソシストで今回ちゃんの付き添いをしておられた神田くんです。
今まで外に出ておられたのですが戻ってきたようです。
神田くんはツカツカとちゃんの元へ歩み寄るとちゃんの小さな頭を片手で掴みました。
「うわ! 神田痛いって! ギブギブ!」
「神田、女性に対してそんな暴力的態度はボクの前では慎みたまえ」
バク様は極めて冷静に仰りましたがちゃんの頭を掴んだままの神田くんに一睨みされて肩を震わせました。
どうやら昨日のことを思い出されておられるようです。
「コイツが女だぁ? ガキの間違いだろ」
神田くんは鼻で笑ってちゃんの頭を左右に揺らします。
当然のようにちゃんが抗議の声をあげました。
「私女だよ! ちゃんと胸あるし、17歳だし!」
「精神年齢がガキだっつってんだバーカ」
「バカンダにバカって言われたー!」
「だ・れ・が・バカンダだコラ」
「あらヤだ、つい本音が。イダダダダッ!」
ちゃんが悲鳴に近い叫び声をあげます。神田くんが頭を掴むのを辞めて拳で小突きだしたからでしょう。
「ウォーンさーん」
ちゃんは泣き真似をしながら神田くんの折檻を逃れてバク様の隣を通り過ぎ私の元へ駆け寄って来られました。
私の後に回り、神田くんの悪口をボヤいています。
神田くんとバク様の、何故だか両人から睨まれました。
小さくて可愛らしくそれでも活発で表情がくるくる変わり、飽きることがない。
・はそういう女の子だ。正に天性とでも言うべき愛らしさだろう。
普段は知的でクールに構えているオレ様だが彼女がアジア支部に寄るとわかれば居ても立ってもいられなくなる。
一年に数度しか会えない彼女はみるみると魅力的に成長していく。それを見るのが楽しみで仕方が無いのだ。
しかしその期待も何も全てブチ壊してくれるのが今そこに座っている神田だ。
イノセンス『龍彦』の整備と燃料食料等の補給に訪れた際、必ず神田がしどけなく眠る彼女を抱いて下船してくる。
しかも普通に抱けばいいものを何故か奴は彼女を米俵かのように担いで来るのだ。
あげく引渡しを申し出ても神田は自分で彼女をベッドに届けるまで絶対に手を放そうとしない。
自分の米俵を他人に触らせたくないと主張しているようだ。
……なんでコイツはさも当然のようにのカップで茶を淹れ直しているんだ?
しかも肝心のは何故オレ様の前を通り過ぎ比較的遠くにいたウォンに縋りついているんだ?
じっとウォンを見ていると焦ってウォンがオレ様の視線から逃れようとたじろいだ。
「そういえば神田ー、アジア支部って年々面積広がってるんだってねー?」
「……行ってる暇はねぇぞ」
ウォンの後からが顔を突き出す。その目はキラキラと何かに期待を寄せた目をしていた。
彼女の言いたいことを先回りして神田が応える。
先ほどまでの暴力は彼らの間ではただのじゃれ合いに等しいのだろう。ケロリと忘れている。
「かーんだー」
猫のように甘えた声で(ウォンの後から)が神田にねだっている。可愛い。面白みの無い日常の良い清涼剤だ。
しかしそれにも動じずに神田は黙々と茶を消費していく。
「迷うと危ないですので今日の所はお止めになっていた方が良いですよ」
控えめにウォンが進言する。確かにここの地下は地図がないと方向感覚を失いやすい場所だからな。
「また今度来た時にボクが案内してあげるから今日はお茶だけで我慢したまえ」
は不満そうな声を上げたが渋々了承し、ウォンの後に隠れることを止めた。
同時に何故か神田がオレ様を睨んできた。なんなんだコイツは。
「『バクちゃんと行く ぶらりアジア支部地下の旅!』 ……温泉あったら丁度良いのに」
今度彼女が来るまで開発させよう。
の呟きにオレ様は内心でそう決心した時、きびきびとした態度で部下の一人が入り口に立った。
「様のイノセンス、検査整備、燃料その他補充完了致しました」
「わかった。下がりたまえ」
「ハイ」
機械のような動きで男はまた廊下を歩いていった。
「えぇーもう出発ー?」
今日起きたところでまた出発となるのだから、物足りない感があるのだろう、が不平を言った。
神田は徐に立ち上がると彼女の発言は無かったかのようにまた彼女の頭を引っつかみスタスタと出口に向う。
いきなりで呆気にとられてしまったが、オレ様もウォンも慌てて二人の後を追った。見送りぐらいはするつもりだ。
彼女に会うのはまた何ヶ月も後になるだろう。
オレ様はその時を楽しみにまた無味乾燥な日常に戻らなければならない。
ため息をつくとウォンが心配気にオレ様の顔色をうかがってきた。
オレ様はそれを適当にあしらい、神田に引っ張られるの後姿を眺める。
コムイのポストさえ奪えればこのような不満も解消するというのに。
唇を噛むとじんわり鉄の味がした。
これ、誰夢…? 裏でウォン夢だと主張してみる。
というか、この話自体ウォンが書きたくて書いたものだしね!
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