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泣いている気がした
rain -淫雨-
ざあざあと打つ雨の音に目を覚ますと部屋は薄暗かった。
横を見るとベッドのシーツはくしゃくしゃのまま。そこに居た人の影を残していた。
もしかしたら同じ部屋で僕が寝ていた所為で吃驚して出て行ったのかもしれない。
冷たくなったシーツと低くなった気温に冷たい空気が背筋を滑る。
緩慢な動きで廊下に出てみると雨の陰気が漂っているようだった。
「、どこですかー?」
電気はついていない。光の届かない先から自分の声が反響する。
靄のように捉え所のない不安がゆっくり胸の内を移動する。
ラッタルに足を掛けると金属質な冷たさが伝わってきた。
光の当たらない艦橋は鈍く暗い灰色に濁っていて気味が悪い。
後甲板に出ると頭に雫が垂れてきた。
それは徐々に横からの風に乗り横殴りに頬を叩く。
木々に切り取られた暗い空が世界を押しつぶしそうだ。
を探したら一度シャワーを浴びよう、水だけど。
もしかしたら本気で風邪をひくかも。に看病でもねだろうかな。
咽の奥で小さく笑うと簡単に雨音に消された。
早足に歩いていると主砲の隣に人影が見えた。
近づくとそれは探している人物とすぐ判明する。
黒い髪は雨を受けて垂れ、白いシャツはぴったり少女の体に張り付いている。
微動だにせず舳先を見つめ続ける。
「」
後に立つと彼女はゆっくり首を回した。
顔に滴る雨も拭おうとせず黒い瞳を揺らす。
「………ッ、ぁ」
声になっていない。
少女は口を大きく開けたかと思うと唇を堅く結び一歩後ずさった。
泣いているのだろうか。ざざ振りの雨のせいでそれすら判別できない。
ただ彼女の目は明らかに何かに怯えた色をしている。
寧ろ何かに恐怖しているようだった。
その拒絶の眼は今、紛れもなく僕に向けられている。
「? どうし」
「アレン、おはよう」
雨に打たれながら少女はニッコリ笑った。
先ほどまでの恐怖の色も一瞬でどこかへ押し隠して、笑っている。
気付いた。今になって、わかった。
僕は彼女のことをほとんどといって良い程知らない。
たかだか数ヶ月の付き合いでしかないがそれでもそう感じる。
英国人の父がいて、日本人の母を持ち、それで?
彼女は・である。はどう見ても日本名だ。
は父を敬愛しているし英国を愛しているのは確かだ。父の名字を名乗らないのは理由があるのだろうか。
彼女が教団に来る経緯もこの龍彦のことも全くわからない。
聞かないから、答えない。
そんな簡単なものなのかもしれないが心の底で聞くことを躊躇わせる。この屈託のない笑顔が拒絶の現れなのだ。
彼女はいつだって悲哀とか辛い、底にある闇の部分を見えないところに隠してしまう。
だから、すんなりと騙されていた。
彼女は常に笑っているし照れたり怒ったりもする。
泣き顔はないし憂いを覚えることはない、と。
普通に考えれば人間である限りそんなことは有り得ないのに、自分はどうかしていた。
神田は―。
神田は、知っているのだろうか。
こんな彼女を、彼女の過去を、決して表層には表れない彼女の闇を。
パチパチと雨が僕の頬を殴り、デッキを叩く。
「僕は―僕は、雨は好きでも嫌いでもありません。単なる自然現象です」
小さくも大きくもなく、ただ言った。雨音に飲まれることなく伝わっているだろうか。
雫が前髪からだらだらと流れていく。
「でも、、貴女にうそを吐かせる雨は嫌いです」
「っ……嘘なんか」
「雨は好きですか?」
ぬばたまの瞳がゆっくり僕を捉える。
驚き、不信、警戒、恐怖、そんなものが綯い混ぜに僕を見ている。
「答えて、」
「アレン……どうしたの? 何かいつもと違う」
「はぐらかさないで」
じりじりと後退する彼女の腕を掴む。
怯えた、捕食される兎のように悲愴な表情をしている。
矮小な体躯は寒さからか小さく震え、瞳はしっかと拒絶の色を表している。
途端に、小動物を虐めているような罪悪感に苛まれた。
バカバカしい。
今更あの保護者と張り合おうなんて何を考えていたんだ。
何年来もの生活で築かれた彼らの間に割り込もうなんて、ムチャがすぎる。
自分の幼稚な対抗心のせいで人を責めるようなことを。
「す、スミマセン、あの……」
于嗟。
泣かせてしまった。最悪だ。
「ごめんなさい。何も…言いませんから」
慌てて腕を放す。
は眉尻を下げ、困ったような表情を見せた。
実際困っているのだろう。
「今さっき僕が言ってしまったこと、どうか全て忘れて下さい」
そう言うとは俯いてしまった。
「…」
「アレン、このまんまじゃ風邪ひくよ。戻ろう」
終了の合図。
は不意に顔をあげるとどこか弱弱しい笑みを湛えて笑って見せた。
「……はい」
そう答えるしか僕にはできなかった。
同時に昨日見た操舵室の彼女がフラッシュバックして、心臓が動いた。
このおぼろげな感情の名前は、まだ知ってはいけない気がした。
僕の手を引いてラッタルへ向う彼女の後姿はいつもより小さく見えた。
オチなし。とりあえずどっかへの伏線ってことで一つ。
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